
前回ブログの身体能力の違いついてと同様に調べたかったのは、ハングリー精神の違いについてです。
これまた、日本のマスコミも、多くの指導者も、ラテンアメリカ選手の活躍の要因をそう表現していますし、多くの日本人の方がそう信じていますが本当にそうなのでしょうか。
ドミニカ共和国内の経済状況は確かに良くはありません。首都サントドミンゴに次ぐ第二の都市はニューヨークと言われるほど、アメリカへの出稼ぎ労働者も多く、国外からの送金も大きな収入源となっています。
ただし、だからといって本当にそれが野球技術に大きな影響を及ぼし、こんなに多くの選手を輩出することに繋がっているのかというと、それほどまでとは感じません。現に本当に貧しい子供たちは生きていくために靴磨きやお菓子売り、時に物乞いもしなくてはならず、野球などできる状況ではありません。
たった2ヶ月間ですが、現地に滞在してたくさんの人と接しているうちに、経済の状況以上に彼らの活躍につながる大きな要因が他にあるような気がしてきました。
1つ目は「結果は神が決める」という哲学。

(練習前に神様へのお祈りを必ず行うチーム)
確かに経済的には厳しい状況にあるドミニカ共和国で、野球で成功するということは男の子なら誰もが夢見ることです。うまい子から下手な子、大きい子から小さい子まで、本当に全員がメジャーリーガーを目指しています。しかし、どの年代の野球を見ても、日本人が想像しているようなハングリー精神のようなものは見当たりません。「絶対にメジャーリーガーになるぞ!」「絶対にこの試合に勝つぞ!」なんて叫んでいるチーム、選手は皆無です。日本では、どんだけ「絶対勝つぞー!」とか「目指せ甲子園」とか言ってることか。
15-16歳の試合を見ていた際に、隣に座っていた人がけっこう上手なキャッチャーのお父さんだったので、息子さんにはメジャーリーガーになってほしいんでしょ?と聞いたところ、実に力みなく〜、「いや〜、競争は激しいからね〜。まあ神様が望むならね。」と。
マイナーリーグでプレーしているあらゆる選手に、なんとしてももうすぐ手の届くところにあるメジャーリーガーになりたいんでしょ?と聞いても、「確かに良い結果が出ることを個人的には願っているよ。でもね、結果というのは我々がコントロールできるものではないんだ。神様のみが決めることなんだ。結果はどうなるかわからない。僕たちは淡々と練習をして自分たちの能力を最大限に伸ばすことだけを考えているんだよ。」という回答が返ってきます。
開発途上国に滞在した経験がある方ならご存知だと思いますが、彼らの社会というのは思うようにいかないことの連続です。断続的な停電・断水、いつ来るかわからない(時刻表なんてない)公共交通機関、一世代では到底どうすることもできない激しい貧富の差、傘が何の役にも立たない激しいスコール・・・。日本のような先進国では、大抵のものは予定通りに進み、人が何でもコントロールできると思いがちですが、彼らはそうは思っていません。
明日の仕事の予定を確認して、集合時間も確認して、電話を切る前に「じゃあ、明日会おうね!」と言ったら、「神様が望むならね!」と返されることはザラにあります。日本人なら、おいおい神様が望まなくても来てくれよ!と言いたくなるけど、彼らの考えでは、人がコントロールできないものもたくさんある、激しいスコールで家から出られないかもしれないし、同じ方角へ向かう人がいなければいつまでたってもバスが出発しないかもしれませんしね。
そういった考えからも、野球においてはコントロールできない結果を気にするよりも、日々の練習の中で少しでも自身の能力を伸ばすことに集中できていて、それがやがて大きな力になるのだと思います。
2つ目は「前向きな心」。

(仕事がないと言いつつ底抜けに明るい家族)
ラテンアメリカの中でも特にカリブ海周辺地域は明るく楽しい人々が多く暮らしています。日本よりも厳しい環境で暮らす彼らにとって、明るく楽しく過ごすことは最も重要なことなのかもしれません。特に自分が失敗した時、嫌なことがあった時の切り替えは非常に早いものがあります。僕もドミニカの人によく言われました。「いいか、もし嫌なことがあっても、自分がミスしても、すぐに忘れればいいんだ。今日、大失態を犯して会社をクビになっても、自分の会社が倒産しても、とりあえずお酒を飲むくらいの少しのお金はあるだろ?仲間と一緒に飲んで踊れば、今日もハッピーな一日になるじゃないか。明日、好きな人に告白してフラれたとしても、それは翌日以降にもっときれいな女性が現れる前兆なんだよ。」と。
そういう風に考えていると、失敗したらどうしよう、怒られるのは嫌だからやめておこう、という消極的な選択は生まれず、まずは挑戦してみよう、やってダメでも次は違う方法でやってみようと常に積極的な言動になるのだと思います。現に自分も現地の人と話していると、この冗談を笑ってくれなかったらどうしよう?なんて思う間もなく、口が勝手に話しています。ウケないわけがない、絶対笑うもんだと思いこんでいます。例えその冗談がスベっても、それをおもしろい冗談に変えて返してくれる安心感で、さらなるトライ!と、国民全体がそんな雰囲気です。
野球というスポーツは失敗のスポーツだとよく表現されます。打者は10回中、3回打てればヒーロー。実に半分以上の7回も失敗できるんです。10年間で280億円の契約をしているロビンソン・カノーだって半分以上は打てないんです。どうせ半分以上は打てないのだから、打てなかったらどうしよう、なんて考える必要は全くないんです。打てると思って打席に入って、打てなくても次は打てると思う、指導者としては選手がそういう気持ちで打席に入れるようにサポートしてあげることが重要なのではないかと思います。
勝敗も一緒ですね。プロですら80勝60敗、つまり4勝3敗ペースで優勝できるスポーツですので、勝たなきゃいけない、負けたらどうしようなんて思う必要ないんです。逆にそういう風に思わせてしまうトーナメント制の大会は、どんどん子供達の積極性を阻害し、可能性を狭めてしまうので、子供達のことを思うならどの年代もぜひ早めに廃止するべきだと思います。
失敗しても気にしない、どんどんトライする、自分はできると思ってやる、彼らが日常から繰り返しているこれらの文化・習慣と野球というスポーツの特性がマッチしているのではないかと思います。
3つ目は「利他の心」。


(ペドロ・ストロップが自身の村に開いたお店で働く定員さんたち)
今回の滞在で知り合った現役バリバリのメジャーリーガー、ペドロ・ストロップ(シカゴ・カブス)やサンティアゴ・カシージャ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)、フランシスコ・リリアーノ(ピッツバーグ・パイレーツ)、フアン・ウリベ(ロサンゼルス・ドジャース)はフアン・バロン村という本当に小さな村の出身です。農業が少し行われているだけの決して裕福ではない村で育った彼らは、夢を掴んだ今でも自身らの村を愛し、オフの期間はこの村の住民と共に公園で話したり、ソフトボールを楽しんだり、時には道端で一緒にお酒を飲んだりして過ごしています。
そして、そんな彼らのとっている行動というのは、自分だけではなく、村の人々のために貢献するということです。仕事につくことがなかなかできない村人もいるため、自らお金を出して売店をオープンして村人を雇ったり、財源が不足する市役所に寄付をして暗い道に街灯をつけたり、貧しい家庭の子供達にユニフォームを寄付したり。この村出身ではありませんが、ラファエル・ソリアーノ(ワシントン・ナショナルズ)が寄贈した救急車が走っているところも目撃しました。
彼らは、確かになみなみならぬ努力を今でもしています。しかし、前述のように結果は神様が決めるものであり、メジャーリーガーになった自分が偉いというそぶりは全く見せません。たまたま、村に迷い込んだ日本人の僕にも敬意を払い、対等の立場で接してくれます。みんなを代表して神様が自分に幸運を与えてくれたのだ、だから周りの人々に自分が貢献することは当然だと思っています。
彼らも含めて多くの選手や指導者が口にすることは、「自分たちの国は確かに貧しい。だから神様の助けを受けて、野球で成功することができれば、自分の生活だけではなく、自分の村やドミニカ共和国という国をもっともっと豊かにすることに貢献したいんだ。」ということです。
自分のためではなく、誰かのために動く時、人は普段以上の力を発揮できることは日本人の我々も知っていることだと思います。彼らの利他の心と実際の行動がメジャーリーグという大きな舞台で力を発揮する一つの要因になっていることも真実だと思います。
僕の解釈なのかもしれませんが、日本人の言うハングリー精神とはこの3つからなりたっているのかなと、現地にいて感じました。
数式にすると、
『ハングリー精神=先の結果を気にせず自身の能力を伸ばすことに集中する➕失敗を恐れない前向きな心➕利他の心』
なのかなと思います。
でも、よく考えてみてください。この3つは経済的に貧しくないとできないことでしょうか?我々、日本人にはできないことでしょうか?
「彼らにはハングリー精神がある。」と言うことは、我々にはハングリー精神が足りない、少ない、もしくはない、ということ。同時に、「我々は結果を気にして自身の能力を伸ばすことに集中できていない、失敗を恐れて後ろ向きな心になっている、利他の心を失って自分さえ良ければ良いと思っている。」ということを自ら公言しているようなものではないでしょうか?
でも、人に言う前にまずは自分が行動ですね。結果ではなく自身の能力を伸ばすことに重きを置き、失敗してもめげず常に明るく前向きに、そして利他の心を持って、学び・行動・発信をこれからも続けて行きたいと思います。
選手たちがそういった気持ちで野球や普段の生活に取り組める環境づくりが保護者や指導者や大会運営者など、選手たちの周りにいる大人の仕事です。共に取り組んで、日本の未来を明るくしていきましょう!

このテーマは今回の渡航でぜひ調べたかったテーマです。
ラテンアメリカ選手の活躍について、日本では報道でも「彼らは身体能力が違う」とよく表現されます。
報道だけではなく、国内で講演させてもらっても、「だって彼らは身体能力が違うでしょ。」とよく言われます。特に子供よりも大人の方がそう表現される傾向にあると思います。
そして、たった2ヶ月間ですが毎日ドミニカ共和国の野球を見てきた感想としては、個人個人の身体能力の違いは「Sí!」あります。同じ取り組みをしていてもメジャーまで到達できる選手とできない選手がいるのは事実だと思います。日本でも一緒ですよね。ただ、日本人とドミニカ共和国人の全体的な身体能力の違いは「No!」ほとんど見当たりません。
もちろん、体のつくりの違いはあります。ただ、どちらが野球に向いているかという優劣はないと思います。
MLBアカデミー指導歴26年、台湾のプロ球団も2年間指導したこともあるバウティスタ氏をはじめ、多くのMLBアカデミー指導者はハッキリと断言します。ドミニカの人にできて日本人にはできないということなどありえない。全てはアプローチ(練習方法や取り組み方、野球選手を育成する全体のシステム)次第だと。
ドミニカ共和国では、小学生の間はとにかく野球を楽しむことに重きをおいています。練習なんてほとんど存在せず野球をして遊んでいるだけ。もちろん逆シングルもジャンピングスローも大きなスイングもメジャーリーガーのように。勝っても負けてもワイワイガヤガヤ。エラーも三振もいっぱいするけど、大人も子供もお構い無し。大人の指示を待っている子供は一人もいないですね。ここで、子供たちは将来活躍する上で、最も大切な野球を愛する心を育んでいるのだと思います。
中学生になれば、先日のブログのように、個人の能力をどんどん伸ばす練習。ピッチャーは力強いストレートをストライクゾーンへ、打者は力強く速いスイングを、守備では素早い持ち替えを、日々黙々と練習しています。
メジャーのアカデミーに入れば、上記をさらにさらに向上させることに加えて、投手は変化球の制度や守備の連携の上達、打者は変化球へのアジャストも、守備ではフォーメーションや連携も、そしてアメリカで活躍するために必要なコミュニケーションツールである英語の勉強も開始します。
13歳くらいから一貫してやっていることは、野手も投手もプレーの中の無駄な動きを極力減らし、自分の持っている力を最大限ボールに伝えるということ。練習は量より質、練習時間は日本より短いけど、練習中の集中力は他の人を寄せ付けないオーラがあります。そして、指導者は長い目で彼らの成長を見守るということを徹底してやっています。今すぐできなくても10年後・20年後にできれば良いと考え、とにかく「君はできる!」と前向きな言葉をかけ続けます。もちろんどの年代もトーナメント制の大会など存在せず、投手が投球過多で潰れること、12歳から木製バットを使用して金属バットの弊害を抑えていることは言うまでもありません。
指導者も選手もこれをくる日もくる日も繰り返し行い、まさに「塵も積もれば山となる」、この日々の積み重ねがやがて大きな力となり、その過程を見ていなかった人からすれば元々身体能力が違うのだと錯覚してしまうのだと思います。

「昔は大きな選手を探していたのも事実だ。ただ、今のベースボールはもうそのような時代ではない。体の大きさではなく、自分の持っている力をいかにボールに伝えられるか、そしていかに速いプレーができるかだ。よくよく考えて欲しい。ドミニカ出身で活躍している選手には決して大きくない選手もいっぱいいるじゃないか。エリック・アイバー、ボニファシオ、ロビンソン・カノーも決して大きくない。2014年のアメリカンリーグ首位打者はMLB全体で最も小さい選手だったことは知っているだろう?今のベースボールは昔のベースボールとは違うんだよ。」と先のバウティスタ氏。
誤解を恐れずに書くと、どのような練習をしているのか、どうやって指導者は指導しているのか、見たこともないのに彼らは身体能力が違うんだということは彼らに対して非常に失礼で、指導者や報道関係者としても恥ずべき発言じゃないのかなと思います。ドミニカの育成システム、指導者の指導のあり方、選手たちの練習に取り組む姿勢を見た上で、「君たちは練習の過程ではなく、日本人より身体能力が優れているからメジャーまで到達できるんだ。」とは決して言えないと思います。
一番変えなければならないのは、指導者の指導のあり方であり、大会などを運営する側のあり方、つまり自分自身も含めて大人の側だと思います。子供たちはみんなうまくなりたいと思っています。そう思っていない子なんていません。ならば、将来に渡って子供達が持っている力を存分に発揮できる環境整備と指導方法(試合に勝つためじゃないですよ!)を学び実践し続けることが我々の任務かなと思います。

これまた親しくなったトロント・ブルージェイズのアカデミーのコーチであるマテオさんから、別れ際に励ましの言葉をいただきました。
「時間はかかると思う。でも、君がここんで学んだことは必ず日本の野球を改善することに役立つんだ。仲間をたくさん増やして、その仲間と行動し続けるんだ。そうすればそう遠くない未来、5年後か10年後に僕が君に言った言葉を君は思い出すよ。『必ず良い結果が待っているよ!』とマテオが君に言ったことをね。君の活動は日本の大きな財産になるよ。」
日本に一度も行ったことのないドミニカ共和国のコーチが日本の子供達のためにとまるで自分の子供のことを思うように何でも親切に教えてくれます。我々日本人自身が変化を恐れず行動する時が今やと思います。日本人もやればできる!

ドミニカ共和国へ来て早くも1か月半が過ぎ、帰国の途に就く日が近づいてきています。
何日いても、毎日同じところに練習見学に行っても、新たな気づき・発見がたくさんあり、まだまだ勉強したいというのが本音です。でも、日本の子どもたちに還元するために一度帰国します。
ドミニカ共和国の野球は年代ごとに主に下記のようなカテゴリーに分かれています。
①12歳くらいまでの子どもたちが所属するリーガ(リーグ)
②13歳以上から17歳前後まで(メジャー球団と契約するまで)練習を行うプログラム
③16歳と半年を過ぎた選手がプロ(マイナー)契約してメジャーリーグの各球団で練習を行うアカデミー
④既にマイナーやメジャーでプレーしている選手が出場するウィンターリーグ(ドミニカのプロ野球)

その中で今回の滞在で最も時間をかけて見学させてもらったのは②のプログラムでした。
ドミニカ共和国内には各市に無数のプログラムが存在します。
日本で言うと、中学生から高校生前半にあたる子どもたちを指導するクラブチームといった存在でしょうか。
ただ、日本と決定的に違うところは、このクラブチームが試合に勝つために存在しているのではなく、個々の選手がメジャー球団とプロ契約するために存在しているということです。
プログラムに入る際に(12-13歳の段階で)、まずはそのプログラムの指導者(オーナー)と契約を行います。指導料は無料、そのかわり、プロ契約した際には契約金の30%をチーム又は指導者に支払うといった内容が多いようです。選手が貧しい家庭の出身であれば住まいや食事もチームが提供し、そのかわり契約金の40%を支払うといったケースもあるようです。指導者はこれを本業として、自身の家族も養っています。
練習の中で指導者は細かいことをほとんど指導しません。
打者であれば、近めからの投球を木製バットで力強く速いスイングで、インサイドアウトを意識して振りぬくこと。飛距離よりも打球の質を重視。
守備はゆるいゴロのみで練習、正面の打球は体の正面で、自分の右方向の打球は逆シングルで、左の打球は左手を伸ばして捕球し、前方のボテボテの打球はダッシュして、一発で素早く持ち替えて強く投げる練習のみ。内野手のボールの持ち替えの速さは日本人に比べてすさまじく速いのですが、それはこのような練習を毎日淡々と行っているたまものだと思います。
投手もこの時点ではストレートのみで構わないので、速くて強い球をストライクゾーン(ど真ん中でもOK)に投げられるかどうかがポイントのようです。カーブとチェンジアップを覚え始めている投手も見かけますが80%以上はストレートです。
逆にほとんど見かけない練習は、金属バットを使った練習、変化球打ちの練習、バント、ヒットエンドラン、シートノック、ケースノック、投内連携、投手がスライダーを投げる練習などです。
なぜ、このように日本と全く違った練習方法なのか?それは、ぜひみなさんにも実際に来てみて、感じていただきたいところなのですが、前者の能力こそが将来メジャーで活躍するために必要な能力で、この年代までにまず伸ばしておくべきことだからなのかなと思います。メジャーのスカウトも前者の能力で契約するかどうかを判断しているようです。

(メジャー球団のトライアウト中)
逆に、変化球を打つこと、バントやヒットエンドラン、守備のフォーメーション、投手の変化球などは、メジャーのアカデミーに入ってから練習を始めて、25歳前後でメジャーに昇格するまでに徐々に身につければ良い技術なのだと思います。それよりも大事なのは前者の個々の能力を若いうち(12歳くらい)からどんどんと伸ばし続けること、それはメジャーに昇格したとしても引退するまで20年-30年かけて伸ばし続けるものなのでしょう。
プログラム同士の試合や、同じ地域内での大会も6-8月を中心に行われるようです(ぜひ今度はそれも見たいなと)。ただ、どの指導者も口をそろえて言うことは同じです。
『もちろん、試合だから勝つためにやる。ベストも尽くす。ただし、選手の育成こそがその日の勝敗よりも大切なのは当然のことだ。リーグ戦なので、投手はもちろんローテーションを組むし、チームによって差はあるものの75球を超えて投げさせるチームはほとんど存在しない。先発投手が連投するなんてもってのほかだ。そんなことをして選手たちの未来をつぶしてしまったら、試合に勝ったとしても何の意味もない。打たれても良いからどんどんストレートをストライクゾーンに投げるんだ。バッターはとにかくストライクゾーンにきたストレートを力強く振る。この時期に変化球が打てなくたってなんてことはない。とにかく、どんどんチャレンジして失敗すれば良い。そのために試合があるんだ。』
その言葉を証明するように、何試合か練習試合や紅白戦を見せてもらいましたが、投手がストレートを投げて打たれても指導者は何も言わないし、打者が変化球に対してとんでもない空振りをしても誰も何も言いません。守備でエラーしても監督自身が笑っているくらい、特にこの時期のミスはなんてことはないということです。
勝つことはうれしい、もちろんやるからには優勝したい、でも試合や大会に勝つ指導者が評価されるのではなく、優秀な選手をたくさん輩出している指導者やチームが評価されていることがここにいると非常に理解できます。(優勝してもお金は入ってきませんしね。)その価値観というのは日本と大きく違うところですが、子どもたちの能力を最大限に伸ばすという観点から見ると、こちらの指導方法・評価方法が理にかなっているのは明白だと思います。現にメジャーリーガーの数は日本に比べてとてつもなく多いですからね。
こっちで常に感じていること、それは『日本人にもできる!』ということです。
今日・明日、1年後・2年後の勝利ではなく、子どもたちが10年後・20年後に能力をいかんなく発揮して活躍できるような環境づくりにこだわって、練習指導・試合運営方法をドミニカ共和国の選手育成を題材に一緒に学んで徹底的にこだわってやっていきませんか?
きっと、もっともっと優秀な選手を数多く輩出できますし、ドミニカ共和国の選手たちもたくさんの素晴らしい日本人選手との対戦を心待ちにしていると思いますよ!

日本では一緒にならないものが一緒になる国。上も下もない、表も裏も一緒、それがドミニカ共和国のような気がします。
日本など、儒教の影響がある国では、指導者が(つまり年上の者が)選手(年下の者)を指導する際に、選手から指導者への敬意はあっても、指導者から選手に対する敬意はないケース、もしくはあっても選手から指導者に対する敬意よりも少ないケースが多々あると思います。
会社でもそう、上司に『No!』だとか、『それ間違っていますよ!』とか、『考え直した方が良いんじゃないですか?』とか、日本ではなかなか言えませんよね。それが大きなストレスになっているケースも少なくないと思います。
野球の現場でも、小学生からプロまで同じような傾向があると思います(日本の場合は指導者だけでなく、先輩に対してもか・・・)。
一方で、ドミニカ共和国などラテンアメリカ諸国では、大人と子供、指導者と選手の関係はフラットです。子供たち、選手たちは、なんでも大人や指導者に対してものを言います。『今日はもう疲れたからこれ以上投げない。』『(打撃投手をしている指導者に)もっとこの辺にボールを投げてほしい。』くらいは当然言いますし、どこか調子悪いのか?と聞いた指導者に人差し指を立てて軽く横に振る(Noのサイン)だけとか、話を聞くときに腕を組んでリラックスして、返事も特になし。日本人なら誰もが、なんだこれは?と最初は思ってしまうと思います。
でもこれ、一見お互いにリスペクトしていないように見えて、実はしているんです。特にこちらの指導者の方がよく使うのが『(お互いの)信頼』という言葉です。
『才能を持った選手が、それを開花させられずに終わってしまうケースがある。その一番の原因は、指導者と選手の信頼不足を要因とするほんのちょっとしたコミュニケーション不足なんだ。どこか調子がよくない、いつもと何かが違う、少し体に疲れが出ている、ちょっとした異変を選手自身が気づき指導者に伝えられるかどうかが大切で、もし指導者に伝えることを恐れてそのままプレーを続けてしまったら、彼のもっている能力を発揮できなくしてしまう事態につながっていくんだ(これ日本でおこりまくってないですか・・・?)。だから指導者は選手がなんでも言いやすい環境を作ってあげることも大切だし、選手のちょっとした変化に指導者が気づいて無理をさせない、安心して休んでいいよと伝えることもすごく大切なん だ。』と、いつもお世話になっているLAドジャースのアントニオ氏。
儒教の教え、日本の礼儀正しい文化をもちろん否定する気もないし、むしろ素晴らしい文化だと思うけど、気を付けなければならないことは目上の人に対して絶対服従になる可能性も秘めているということ。
『(昨日も投げたけど)今日もいけるか?』、『(100球を超えているけど)まだいけるか?』と、指導者が聞いたら、『はい、行けます!』と答えさせてしまう文化があるということ。世界的に連投や若いうちに100球を超える投球過多は選手の将来に良くない影響を及ぼすと誰もが知っていることなのに、『行けるか?』と聞くこと自体、指導者の責任を放棄している(僕は選手をつぶすダメな指導者ですと言っている)ようなものなのに、マスコミもまたそれを美談にして、一般の人々も納得してしまう現状があるということ。野球だけじゃなくて社会全体でありますよね。
そんな状況を打破するために、ラテンアメリカの文化から学べることもいっぱいあるんじゃないかなと日々感じています。
こちらでは、現役バリバリのメジャーリーガーと謎の日本人である僕も対等。知り合ったカシージャ(SFジャイアンツの抑え投手)もストロップ(カブスの中継ぎエース)もリリアーノ(パイレーツのエース)も、シリアコ(ブレーブスのユーティリティー)も全く対等の立場で世間話や野球に関する話を向こうからも平気でしてきます。
同じ日に、道端で靴磨きや車洗いをして路上生活している子どもたちと僕が話をしても、これまた全くもって対等です。10歳くらいの路上生活している子どもに普通の大人が『おい、今日はいくら稼いだんだ!?』と聞いたりもしている、日本では一緒にならないものが一緒になる、でもそれが当たり前で自然なような気がしてきます。

大会の審判も子供。しかもこんな格好で(笑)。
下の写真の子、ランナーじゃないですよ。審判ですよ。

1人審判ですべてジャッジしていて、見落としも全然ない。レベル高すぎ!球を捕るふりもするし。

ある試合(11-12歳の試合)の最終回、3塁へ滑り込んだ選手が微妙なタイミングでアウト!
立場は対等なので、微妙な判定に監督も審判が子供だからと容赦せずにセーフだと猛抗議。そしたら逆に相手チームの子供たちから集中非難を浴びて退散する監督(笑)。

試合終了後、改めて相手チームの子どもたちに取り囲まれる監督(笑)。

しまいには、隣で見ていた日本人(50代で日本では名監督)に、『オイ、そこのチャイニーズ!!さっきのプレー見てたやろ?アウトやったやろ?見てたんやったら彼に言うたってくれよ!!』の大合唱(笑)。
子供が元気で明るくて、言いたいことが言えて、やりたいことがやれる、それこそがその国の明るい未来につながっていくんちゃうかなと思います。そして、それを見守る大人がいて、子どもたちも見守ってくれている大人に対し、いずれ何年後かには自然と感謝の気持ちと敬意を抱くようになる。
日本では指導者と選手の距離感、親と子供、先生と生徒、上司と部下、色々なところで距離感の取り方が問題となっているが、それは敬意が一方通行になりがちなためにお互いの距離感がわからなくなるのではないかなと思います。
ドミニカ共和国などのラテンアメリカ諸国のように、敬意が一方通行ではなく両方向でしかも対等であれば、良い距離感は誰に対しても図らなくても意識しなくても自然とできている。しかもその距離感が程よく近い。日本もそんな国にしたいなと今日もカリブの島で思いながら、野球も野球以外もすべてのことから引き続き勉強です。

みなさん、2014年も大変お世話になりました。
日本が元旦の朝日を眺めている頃、ドミニカ共和国では2014年最終日の夕陽を眺めていました。
ものすごい数のメジャーリーガーを出しているこの国で、野球指導方法の勉強がしたいと渡航して早くも1か月、いやいや予想以上に充実した日々でまだ1か月?なのかもしれません。
野球のことはもちろんですが、それ以上に人として学ぶべきことがそこらじゅうに転がっている気がします。
ここにいると『寂しい』という感情は一切わいてきません。道に出れば誰かが話しかけてきて、バスに乗れば知らない人同士がおしゃべりしていて、みんながみんなでハッピーな時間をすごしたいと思っています。
お金はあんまりないけど時間はふんだんにある。ゆっくり流れる時間の中で、持っている時間は人のためにもふんだんに使う。もはやそれが当然で、誰もそのことを特別だと思っていないし、意識もしていない。この1か月、忙しいという言葉を誰からも1回も聞いていないということは、忙しい(心を亡くした)人はこの国にほとんどいないということでしょう。

先日、日本から来られた方々を、メジャーリーガーがたくさん輩出されているフアン・バロン村に連れて行った際に、村の人々は3回目に会う僕をまるで昔からの住人のように迎えてくれました。ちょうどクリスマスのソフトボール大会が開催されていて、グラウンドに入っていくとみんなが『フェリス・ナビダ!!(メリー・クリスマス)』と言って僕を抱きしめてくれました。現役バリバリのメジャーリーガーも『トモー!!来てくれたのか、すごくうれしいよ!!』と僕を呼び止め、抱きしめてくれます。その光景を目の当たりにして、日本のみなさんは『この手厚い歓迎は一体なんなんだ?こいつは村に対してどんなすごい功績を残したんだ?』と思ったそうです。なんてことはなく、ただ5日ほど前に知り合っただけやのに・・・。
『みんな、あまりにも親切にしてくれるから、僕がこの村に何か大きな功績を残したのだと思ったらしいよ。1週間前に知り合ったばっかりやのにね。なんで、こんなに親切にしてくれるんだって聞いてるよ。』
と、彼らに伝えたら、まるで質問の意味を理解できずにキョトンとした顔で、
『何言ってんだ?おれたちはアミーゴだろ?アミーゴに対してできることは何でもする。それが何か特別なことなのか?』と、逆に聞き返されました。
あまりにも彼らにとっては当たり前すぎて、なんでそんな質問わざわざするの?という顔をしていました。
ドミニカの人々はすぐに人の心に入り込んできます。逆にいつも自分の心も開いてくれているので、心の中に入り込ませてくれます。
『いつもチーノ(中国人)って呼んじゃうけど、気にしないでね。私たちにとってはアジアの人はみんな一緒に見えるの。中国人か日本人か韓国人かどこだかわからないけど、とにかくここに座りなさい!おしゃべりしよう!なんならビールでも飲もう!?あんたのことは良く知らないけど、別にそれでも良い。とにかく一緒に楽しく過ごせればそれで良い!』
こんな人々と一緒にいて、どうやったら寂しくなれるやろう・・・(笑)。
2014年、最後の夕陽を眺めに海岸沿いへ。
子どもたち5人が大きな波にダイビングして遊んでいる。
もちろん柵も何もなく、彼らを監視している大人もいない。

『チーノ!写真撮れよ!』
『チーノ!おれ、お腹空いてんだ、お金くれ!』
ああ、彼らは迷いなく自分たちで生きようとしている。
これが彼らの強さであり、速さなのかもしれない。
ドミニカの人々のように強くそして速く!
2015年のテーマはこれやなと夕陽を眺めながら、心にすーっと入り込んできました。
2015年もどうぞよろしくお願いします。